311人のこころを動かした一言

わたしが出逢い、こころが動いた大切な言葉をご紹介します。読者の方の人数でブログタイトルも変えていきます!

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「渾身の一言」ベスト5~2018年11月版~

1か月で読者が200名以上増えたブログ

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こんにちは、こまちです。

今年の10月25日にスタートしたこのブログも、約1か月がたちました。

この1か月で読者の方は217名増えました。

今まで綴った43記事に対して、2,164個のスターをいただきました。

本当にありがとうございます。

今回は、43記事を改めて振り返り、「渾身の一言ベスト5」を選びました。

 

「一言」ベスト5


1.一瞬で今ある「幸せ」を思い出す、すごい言葉

頑張ることに疲れたときに。

この言葉を思い出すと、「自分にとって何が幸せか」を思い出せる、すごい一言です。

読み終えたときに、今日の「ありがとう」が、
より愛しく、大切なものになったらうれしいなと思って書きました。



2.人生初めての大きな挫折を、4年支え続けた一言

壁にぶち当たっているときに。

わたしをたくさん支えてくれた一言です。

課題と向き合う方にとって、乗り越えていく力となったらいいなと思って書きました。

 

3.空回りするわたしへの一言

思うようにいかないときに。

「思うようにいかない今日」が、力に変わる一言です。

うまくいかない経験から学び、活かしていきたい方にとって、
プラスになったら嬉しいなと思って書きました。



4.努力をバカにされた人への一言

頑張っていることをバカにされたときに。

心がくじけそうになる自分に、前を向かせてくれた一言です。

頑張る方のこころに、一人でも多く届いたらいいなと思って書きました。

 

 

 5.「仕事を取ると、恋愛ができない」と考える人への一言

仕事と恋愛が両立できないと思ってしまうときに。

両方得ていいと、自分に許可が出せるようになった一言です。

仕事も、プライベートも、「最高」にしていきたい方の
力になったらと思って書きました。



「こころが動く一言」

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わたしが出逢った、「こころが動く一言」が。

誰かのこころにも響く、一言になるかもしれない。

このブログは、その思いでスタートさせました。

書いていて思うのは、一番わたし自身に、届いているというと。

出来たこの場所を、大切に育んでいきます。


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最初は「ひとりのこころを動かした一言」で始まったブログですが、「読者の方の数」+「わたし」で、ブログタイトルの数を変えていっています。

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家族と裁判したことがある人への一言

真夜中に叔母からの焦りの一言

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こんにちは、こまちです。

ある日、夜中におばさん(おかんのお姉さん)から電話がありました。

すごく焦ったようすのきみこおばさん。

「あんたの父に、訴えられた」



人生でそんな一言、言われることある!?(笑)

いろいろ通り越して、本当に笑えました。

おばさんは続けました。

母の遺産の件で、わたしの息子ふたりが、あんたの父親に訴えられた。
どうしたらいいのか、教えてほしい。


父はむこ養子で、おかんの「こじま家」に入りました。

その為、おばさんとは血が繋がっていない関係でした。

裁判所からの通知読みましたかと。

その訴えられた相手に、わたしも含まれてるからー。
むしろ、わたしが教えてほしいからー。

そもそも、いとこの2人は、東大と横浜国立大学出身で頭もいいのに、なんでおかんに電話させるんやと。

自分でどうにかせんかい!

と言いたかったけど、わが父のしたことだし、おばさんは焦りと怒りで会話にならず。

「父に聞きますね」

そう言って、電話を切りました。


昼間に父からの落ち着いた一言

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「昨日、きみこおばさんから電話があってさ」

あんたの父親に訴えられたけどどうしたらいいって。

どうしたらいい?

次の日、そう父親に電話したところ。

知らないよ。
知にあったように、おとなしく払うか、裁判所に行くなりしたら。

わかった。

そんなやりとりを、訴えた本人(父)と、被告人(娘)で繰り広げて、コントかと思いました。

その後、家庭裁判所に行くことになった話は、また後日書きますね。

裁判長の驚いた一言もご紹介します。


「お金」を争いのもとにするか、しあわせのもとにするか

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父が自分の娘ふたり(わたしとファンキーな姉)だけでなく、従妹ふたりも訴えたことで、母の立場が無くなりました。

お金というものは、「争いのもと」。

わたしの身体の中に、染みこんでいました。

だけど、しっかり稼いで、自分や周りの大切な人の幸せを築いている人を見て。
お金がどうこういうより、人なんだと。

今は、わたしもしっかり稼いでいこうと、考えています。

お金が全てじゃない。
だけど、お金によって解決できるものは、たくさんある。

裁判するにも、お金がかかりました。

お金に苦労したことで、お金のことを嫌いにもなったし、大切さにも気づけました。

母が一生懸命働いてくれたおかげで、そこまでお金で苦労したことがなかったわたしにとって。

必要な経験だったなと、今は思います。


人生に起こる出来事は、ぜんぶわたしが良くなる為に、必要な経験。

このブログを書くことになって、約1ヵ月。
読者の方も、200名を超えました。

読んでいただく方がいることは、ほんとうにうれしく、心から感謝です。

ただただ、わたしの人生や学びを綴るこのブログを
これほどまでたくさんの方に読んでいただけること自体、奇跡。

ほんとうに、ありがとうございます。
これからも1記事1記事、大切に楽しく綴ります。


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鬼上司のこころに残る一言

最後のランチへ

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こんにちは、こまちです。

以前ご紹介した鬼上司と、最後のランチに行かせていただきました。



なんと、2,800円の海鮮丼を奢っていただきました!!!

めちゃくちゃ美味しかったです。


この4年間の話をしました。

色々あったね。

こまちがよく居眠りしていて、「顔洗ってこい」言ったよね。


当時は弁護士費用などがやばすぎて、内緒で朝まで働いていました。

夜中からスタートした仕事を朝7時に終え、そこから40分かけて東京駅へのバスで爆睡。

8時ごろ会社について、会社の個人集中ブースで集中的に爆睡。

9時30分から働くという生活を、多い時で週3していました。

そのため、鬼上司の横でよく寝て、当たり前ですが怒られました(笑)。


卒業するわたしへの最後のプレゼント

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わたしを採用していただいたのも、鬼上司でした。

4年も前のその面談を、上司も覚えていてくれたそうです。

今まで何人か採用したことがあると聞いたので、褒めてもらえるかなと期待して。

「わたし、どうでしたかね」と聞きました。

「わたしが採用して、失敗だったことはないんだよね」

その上司なりの、最大限の誉め言葉でした。


別れ際、L’OCCITANEのハンドクリームをいただきました。

「家用に大きめと、持ち歩ける用に小さいの」

「香りは、わたしが好きだから、チェリーブロッサムね」

卒業を彩る、優しい桜でした。

ほんとうに、お世話になりました。


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コンプレックスが「良さ」に変わる一言

それが個性となる

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こんにちは、こまちです。

わたしは、とっても滑舌が悪いです。

「いきしちにひみいり」の行が全般苦手です。

一番の壁は、掛け算の七の段です。
「しちしちしじゅうく」が伝わりません。

そんなわたしは、それでも前を向いて歩いていました。

そして、学校の先生に勧められて(笑)、「ことば教室」にも行っていました。

ベロを1時間くらい上げ続けたり、ひたすら言いにくい言葉を言い続ける謎の教室に、週一で通いました。

そう、わたしは努力家なんです。


努力は決して裏切らない

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成長したわたしは、小学校6年生の時、児童会副会長に選ばれました。

全校集会で、3年生のみんなに人生の先輩であるところを発揮して、マイクで案内しました。

「しゃんねんしぇいのみなしゃん」

それ以来、案内は他の子がやってくれました。


大学の体育会女子ソフトボール部時代。

大会中、自分のチームが試合ではない時に、他のチームの試合のウグイス嬢をやる仕事がありました。

「3番、センター、石井さん」

わたしは4年間、一度も任されませんでした(笑)。

わたしも黙って、バックボードで得点板係を引き受けました。


自分の人生は、自分で切り開いていこうと感じた一言

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中学1年生のとき。

先生と母との三者面談がありました。

とっても緊張するわたしと母に、先生は言いました。


こまちちゃんは、とっても勉強頑張っています。

学級委員もやっていて、クラスのみんなと仲もいいです。

このまま頑張ったら、群馬県でもいい高校に入れると思います。

どんな進路も、選べると思います。

ただ、アナウンサーにはなれません。


「先生、なりたい言ってないです」


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優等生でいたいと思う方への一言

「わたし、捨てられたのか」という経験

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こんにちは、こまちです。

わたしが小学校5年のころ、父と母は絶賛別居中でした。

生活費をほとんど入れない父に嫌気がさして、母は強硬手段を取りました。

「もう、あんたが育てて」


そう言って送り込まれたのは、わたしでした(笑)。


ある土曜の朝、母が言いました。

「お父さんのところにいこう」

お、どこにいるんだろ。

父は、ある日突然いなくなりました。

「パパはどこにいったの?」と聞いたら、「だったらパパに育ててもらいなさい」と言われそうで、聞いていませんでした。

ひとまず車に乗り込んで、向かったのは羽田空港

空港に着くと、母は珍しくマンガ「こぼちゃん」を買ってくれました。

そして言いました。

福岡には、あんたひとりで行ってきなさい。

大丈夫。
お母さん、空港で待ってるから。

小5のわたしは、なぞの度胸で「わかった!」といいました。
その時、母はなぜ泣いているのかなと思いました。

何かあった時の為に。
お父さんには、見せてはだめよ。

そう言って、2万円をもらいました。

当時のわたしには大金過ぎて、よくわからなかったけど。
なんとなく大丈夫な気がしました。

福岡に行く道中は、こぼちゃんを熟読しました。
スチュワーデスさんが、やたらわたしのところに来るなと感じましたが、こぼちゃんの方が大事でした。

福岡空港に着くと、父が待っていてくれました。

父の家に向かいながら、父と母が電話で口論していました。

空港で待っているはずの母が群馬に帰っていると聞いて、そこで初めて涙の意味を理解しました。


福岡でのわたしの一言

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家の近くの小学校を通った時に、「ここに転校するか?」と父に聞かれました。
「絶対いやだ」と答えました。

その一言と、「ぐんまに帰る」くらいしか、福岡でまともに話してなかった気がします。

父の家に行き、わたしは部屋に入りたくなくて廊下で体育座りをしていました。

いっこくも早く帰りたかったです。

その日、父は家を引き払って、必要な荷物をまとめ、一緒に群馬に帰ってくれました。

夜中に実家のベットに入って泣いていると、母が来て「ごめんね」と言いました。


優等生でいようとしたわたし

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あの空港で母が泣いてトイレに向かった姿は、今でも目に焼き付いています。

人ってこんなに簡単に、捨てられるんだ。
恐怖でした。

うんといい子でいよう。

小学校から中3まで、学級委員、児童会副会長、部活の部長、生徒会を頑張りました。
勉強も頑張って、内申点は4.5以上。

優等生なわたしは、けっこうこの出来事がきっかけだと。
最近、人生の先輩と話していて、気づきました。

どうして大人になっても、優等生でいようとするか。


失敗を極端に嫌い。
いい人と思われないとだめだと考える。

それには、小さいころの経験が、影響していることが多いんだよね。

乗り越えるには。
その時の感情を感じきることが大事だよ。

我慢して、気持ちを抑圧していたと思うなら、感じきろう。

そして、我慢していた自分も、影響を受けた自分も、許そう。


そう先輩に言われて、最初に思い出したのが、この出来事でした。
わたしは約20年ぶりに、当時のことを鮮明に思い出しました。

あぁ、小5のわたし。悲しかったし、怖かったな。
よく頑張ったな。

母が群馬に帰っていると聞いた時、「あぁ捨てられたのかも」と感じたこと。
それが一番怖かった。それにも、向き合いました。

その恐怖を思い出してはじめて、母の気持ちが見えてきました。


生まれ変わっても、おかんの子に生まれます

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母は、その出来事の前も後も、たくさんの愛情をわたしに注いで育ててくれました。

母のおかげで、ソフトボールできました。
大学にも行けましたし、ゲームも買ってもらいました。

特に母のつくる春巻きは大好きだったし、
たまに連れてってもらう鰻も大好きでした。

「あんたは、文章書くのうまいよね」

母に褒めてもらうのがうれしくて、一生懸命作文を書きました。
それが大人になって、教科書出版会社の編集者になることにもつながったと感じています。

何より、毎日たくさん笑いました。
とっても感謝ばかり。

今になって思うと、小5のわたしが2万で福岡から群馬に帰るのは、けっこう大変。
お金は持たせたけど、母は、父がちゃんと連れて帰ってくるだろうなと信頼していた。

それに気づけました。

そして、「別れの悲しさ」だと思っていたあの涙は、
「こんなことになってしまって、ママが悪いね。ごめんね」だった。


たくさんのありがたいことを、まだぜんぜん返しきれてないなと思います。
これから、もっともっと、母に親孝行していきます。

「長生きしてよね」

61歳のお誕生日に、母にそうラインしたら。

わたしの小学校の友達、野本くんの赤ちゃんの動画だけが、無言で送られてきました(笑)。

早く孫がみたい。
野本くんの赤ちゃんの動画で、そうエンロールするおかん。

とっても長生きしそうです。


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