266人のこころを動かした一言

わたしが出逢い、こころが動いた大切な言葉をご紹介します。読者の方の人数でブログタイトルも変えていきます!

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優等生でいたいと思う方への一言

「わたし、捨てられたのか」という経験

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こんにちは、こまちです。

わたしが小学校5年のころ、父と母は絶賛別居中でした。

生活費をほとんど入れない父に嫌気がさして、母は強硬手段を取りました。

「もう、あんたが育てて」


そう言って送り込まれたのは、わたしでした(笑)。


ある土曜の朝、母が言いました。

「お父さんのところにいこう」

お、どこにいるんだろ。

父は、ある日突然いなくなりました。

「パパはどこにいったの?」と聞いたら、「だったらパパに育ててもらいなさい」と言われそうで、聞いていませんでした。

ひとまず車に乗り込んで、向かったのは羽田空港

空港に着くと、母は珍しくマンガ「こぼちゃん」を買ってくれました。

そして言いました。

福岡には、あんたひとりで行ってきなさい。

大丈夫。
お母さん、空港で待ってるから。

小5のわたしは、なぞの度胸で「わかった!」といいました。
その時、母はなぜ泣いているのかなと思いました。

何かあった時の為に。
お父さんには、見せてはだめよ。

そう言って、2万円をもらいました。

当時のわたしには大金過ぎて、よくわからなかったけど。
なんとなく大丈夫な気がしました。

福岡に行く道中は、こぼちゃんを熟読しました。
スチュワーデスさんが、やたらわたしのところに来るなと感じましたが、こぼちゃんの方が大事でした。

福岡空港に着くと、父が待っていてくれました。

父の家に向かいながら、父と母が電話で口論していました。

空港で待っているはずの母が群馬に帰っていると聞いて、そこで初めて涙の意味を理解しました。


福岡でのわたしの一言

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家の近くの小学校を通った時に、「ここに転校するか?」と父に聞かれました。
「絶対いやだ」と答えました。

その一言と、「ぐんまに帰る」くらいしか、福岡でまともに話してなかった気がします。

父の家に行き、わたしは部屋に入りたくなくて廊下で体育座りをしていました。

いっこくも早く帰りたかったです。

その日、父は家を引き払って、必要な荷物をまとめ、一緒に群馬に帰ってくれました。

夜中に実家のベットに入って泣いていると、母が来て「ごめんね」と言いました。


優等生でいようとしたわたし

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あの空港で母が泣いてトイレに向かった姿は、今でも目に焼き付いています。

人ってこんなに簡単に、捨てられるんだ。
恐怖でした。

うんといい子でいよう。

小学校から中3まで、学級委員、児童会副会長、部活の部長、生徒会を頑張りました。
勉強も頑張って、内申点は4.5以上。

優等生なわたしは、けっこうこの出来事がきっかけだと。
最近、人生の先輩と話していて、気づきました。

どうして大人になっても、優等生でいようとするか。


失敗を極端に嫌い。
いい人と思われないとだめだと考える。

それには、小さいころの経験が、影響していることが多いんだよね。

乗り越えるには。
その時の感情を感じきることが大事だよ。

我慢して、気持ちを抑圧していたと思うなら、感じきろう。

そして、我慢していた自分も、影響を受けた自分も、許そう。


そう先輩に言われて、最初に思い出したのが、この出来事でした。
わたしは約20年ぶりに、当時のことを鮮明に思い出しました。

あぁ、小5のわたし。悲しかったし、怖かったな。
よく頑張ったな。

母が群馬に帰っていると聞いた時、「あぁ捨てられたのかも」と感じたこと。
それが一番怖かった。それにも、向き合いました。

その恐怖を思い出してはじめて、母の気持ちが見えてきました。


生まれ変わっても、おかんの子に生まれます

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母は、その出来事の前も後も、たくさんの愛情をわたしに注いで育ててくれました。

母のおかげで、ソフトボールできました。
大学にも行けましたし、ゲームも買ってもらいました。

特に母のつくる春巻きは大好きだったし、
たまに連れてってもらう鰻も大好きでした。

「あんたは、文章書くのうまいよね」

母に褒めてもらうのがうれしくて、一生懸命作文を書きました。
それが大人になって、教科書出版会社の編集者になることにもつながったと感じています。

何より、毎日たくさん笑いました。
とっても感謝ばかり。

今になって思うと、小5のわたしが2万で福岡から群馬に帰るのは、けっこう大変。
お金は持たせたけど、母は、父がちゃんと連れて帰ってくるだろうなと信頼していた。

それに気づけました。

そして、「別れの悲しさ」だと思っていたあの涙は、
「こんなことになってしまって、ママが悪いね。ごめんね」だった。


たくさんのありがたいことを、まだぜんぜん返しきれてないなと思います。
これから、もっともっと、母に親孝行していきます。

「長生きしてよね」

61歳のお誕生日に、母にそうラインしたら。

わたしの小学校の友達、野本くんの赤ちゃんの動画だけが、無言で送られてきました(笑)。

早く孫がみたい。
野本くんの赤ちゃんの動画で、そうエンロールするおかん。

とっても長生きしそうです。


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