鬼上司のこころに残る一言
最後のランチへ
こんにちは、こまちです。
以前ご紹介した鬼上司と、最後のランチに行かせていただきました。
なんと、2,800円の海鮮丼を奢っていただきました!!!
めちゃくちゃ美味しかったです。
この4年間の話をしました。
色々あったね。
こまちがよく居眠りしていて、「顔洗ってこい」言ったよね。
当時は弁護士費用などがやばすぎて、内緒で朝まで働いていました。
夜中からスタートした仕事を朝7時に終え、そこから40分かけて東京駅へのバスで爆睡。
8時ごろ会社について、会社の個人集中ブースで集中的に爆睡。
9時30分から働くという生活を、多い時で週3していました。
そのため、鬼上司の横でよく寝て、当たり前ですが怒られました(笑)。
卒業するわたしへの最後のプレゼント
わたしを採用していただいたのも、鬼上司でした。
4年も前のその面談を、上司も覚えていてくれたそうです。
今まで何人か採用したことがあると聞いたので、褒めてもらえるかなと期待して。
「わたし、どうでしたかね」と聞きました。
「わたしが採用して、失敗だったことはないんだよね」
その上司なりの、最大限の誉め言葉でした。
別れ際、L’OCCITANEのハンドクリームをいただきました。
「家用に大きめと、持ち歩ける用に小さいの」
「香りは、わたしが好きだから、チェリーブロッサムね」
卒業を彩る、優しい桜でした。
ほんとうに、お世話になりました。
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最初は「ひとりのこころを動かした一言」で始まったブログですが、「読者の方の数」+「わたし」で、ブログタイトルの数を変えていっています。
読者になっていただいた方、ありがとうございます。
気に入って頂けた方は、ぜひお願い致します。
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コンプレックスが「良さ」に変わる一言
それが個性となる
こんにちは、こまちです。
わたしは、とっても滑舌が悪いです。
「いきしちにひみいり」の行が全般苦手です。
一番の壁は、掛け算の七の段です。
「しちしちしじゅうく」が伝わりません。
そんなわたしは、それでも前を向いて歩いていました。
そして、学校の先生に勧められて(笑)、「ことば教室」にも行っていました。
ベロを1時間くらい上げ続けたり、ひたすら言いにくい言葉を言い続ける謎の教室に、週一で通いました。
そう、わたしは努力家なんです。
努力は決して裏切らない
成長したわたしは、小学校6年生の時、児童会副会長に選ばれました。
全校集会で、3年生のみんなに人生の先輩であるところを発揮して、マイクで案内しました。
「しゃんねんしぇいのみなしゃん」
それ以来、案内は他の子がやってくれました。
大学の体育会女子ソフトボール部時代。
大会中、自分のチームが試合ではない時に、他のチームの試合のウグイス嬢をやる仕事がありました。
「3番、センター、石井さん」
わたしは4年間、一度も任されませんでした(笑)。
わたしも黙って、バックボードで得点板係を引き受けました。
自分の人生は、自分で切り開いていこうと感じた一言
中学1年生のとき。
先生と母との三者面談がありました。
とっても緊張するわたしと母に、先生は言いました。
こまちちゃんは、とっても勉強頑張っています。
学級委員もやっていて、クラスのみんなと仲もいいです。
このまま頑張ったら、群馬県でもいい高校に入れると思います。
どんな進路も、選べると思います。
ただ、アナウンサーにはなれません。
「先生、なりたい言ってないです」
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優等生でいたいと思う方への一言
「わたし、捨てられたのか」という経験
こんにちは、こまちです。
わたしが小学校5年のころ、父と母は絶賛別居中でした。
生活費をほとんど入れない父に嫌気がさして、母は強硬手段を取りました。
「もう、あんたが育てて」
そう言って送り込まれたのは、わたしでした(笑)。
ある土曜の朝、母が言いました。
「お父さんのところにいこう」
お、どこにいるんだろ。
父は、ある日突然いなくなりました。
「パパはどこにいったの?」と聞いたら、「だったらパパに育ててもらいなさい」と言われそうで、聞いていませんでした。
ひとまず車に乗り込んで、向かったのは羽田空港。
空港に着くと、母は珍しくマンガ「こぼちゃん」を買ってくれました。
そして言いました。
福岡には、あんたひとりで行ってきなさい。
大丈夫。
お母さん、空港で待ってるから。
小5のわたしは、なぞの度胸で「わかった!」といいました。
その時、母はなぜ泣いているのかなと思いました。
何かあった時の為に。
お父さんには、見せてはだめよ。
そう言って、2万円をもらいました。
当時のわたしには大金過ぎて、よくわからなかったけど。
なんとなく大丈夫な気がしました。
福岡に行く道中は、こぼちゃんを熟読しました。
スチュワーデスさんが、やたらわたしのところに来るなと感じましたが、こぼちゃんの方が大事でした。
福岡空港に着くと、父が待っていてくれました。
父の家に向かいながら、父と母が電話で口論していました。
空港で待っているはずの母が群馬に帰っていると聞いて、そこで初めて涙の意味を理解しました。
福岡でのわたしの一言
家の近くの小学校を通った時に、「ここに転校するか?」と父に聞かれました。
「絶対いやだ」と答えました。
その一言と、「ぐんまに帰る」くらいしか、福岡でまともに話してなかった気がします。
父の家に行き、わたしは部屋に入りたくなくて廊下で体育座りをしていました。
いっこくも早く帰りたかったです。
その日、父は家を引き払って、必要な荷物をまとめ、一緒に群馬に帰ってくれました。
夜中に実家のベットに入って泣いていると、母が来て「ごめんね」と言いました。
優等生でいようとしたわたし
あの空港で母が泣いてトイレに向かった姿は、今でも目に焼き付いています。
人ってこんなに簡単に、捨てられるんだ。
恐怖でした。
うんといい子でいよう。
小学校から中3まで、学級委員、児童会副会長、部活の部長、生徒会を頑張りました。
勉強も頑張って、内申点は4.5以上。
優等生なわたしは、けっこうこの出来事がきっかけだと。
最近、人生の先輩と話していて、気づきました。
どうして大人になっても、優等生でいようとするか。
失敗を極端に嫌い。
いい人と思われないとだめだと考える。
それには、小さいころの経験が、影響していることが多いんだよね。
乗り越えるには。
その時の感情を感じきることが大事だよ。
我慢して、気持ちを抑圧していたと思うなら、感じきろう。
そして、我慢していた自分も、影響を受けた自分も、許そう。
そう先輩に言われて、最初に思い出したのが、この出来事でした。
わたしは約20年ぶりに、当時のことを鮮明に思い出しました。
あぁ、小5のわたし。悲しかったし、怖かったな。
よく頑張ったな。
母が群馬に帰っていると聞いた時、「あぁ捨てられたのかも」と感じたこと。
それが一番怖かった。それにも、向き合いました。
その恐怖を思い出してはじめて、母の気持ちが見えてきました。
生まれ変わっても、おかんの子に生まれます
母は、その出来事の前も後も、たくさんの愛情をわたしに注いで育ててくれました。
母のおかげで、ソフトボールができました。
大学にも行けましたし、ゲームも買ってもらいました。
特に母のつくる春巻きは大好きだったし、
たまに連れてってもらう鰻も大好きでした。
「あんたは、文章書くのうまいよね」
母に褒めてもらうのがうれしくて、一生懸命作文を書きました。
それが大人になって、教科書出版会社の編集者になることにもつながったと感じています。
何より、毎日たくさん笑いました。
とっても感謝ばかり。
今になって思うと、小5のわたしが2万で福岡から群馬に帰るのは、けっこう大変。
お金は持たせたけど、母は、父がちゃんと連れて帰ってくるだろうなと信頼していた。
それに気づけました。
そして、「別れの悲しさ」だと思っていたあの涙は、
「こんなことになってしまって、ママが悪いね。ごめんね」だった。
たくさんのありがたいことを、まだぜんぜん返しきれてないなと思います。
これから、もっともっと、母に親孝行していきます。
「長生きしてよね」
61歳のお誕生日に、母にそうラインしたら。
わたしの小学校の友達、野本くんの赤ちゃんの動画だけが、無言で送られてきました(笑)。
早く孫がみたい。
野本くんの赤ちゃんの動画で、そうエンロールするおかん。
とっても長生きしそうです。
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つい口うるさく言ってしまう方への一言
最後に、一番会いたくなる人
こんにちは、こまちです。
今週いっぱいで、4年働いたリクルートを卒業します。
先週、今週と、「最後にご飯会」をしております。
そんな時に、わたしが一番会いたいなと思う人は、自分でも意外な人でした。
その人は、わたしの4年勤務中3年の間、上司だった女性です。
ものすごく厳しい方で、何度も泣きました。
あまりの厳しさに、その人のもとではすぐに派遣社員が辞める為、「派遣つぶし」の異名があったそうです(笑)。
その人のすごいところは、とんでもなく仕事ができるので、わたしや他の人が、ぐうの音も出ないということです。
まさに正論。そのとおり。
何も言い返す言葉がありません。
リクルートの役員にも、ハッキリと必要なことは伝え、たじたじにさせます。
わたしはその人と1対1でずっと仕事をしてきて、一時ノイローゼ気味になりました。
その時期の対策は、こころを無にすることと、その人とのミーティングは、日の当たる明るめな会議室を予約すること(笑)。
メンタルがすごく鍛えられました。
ただ、離れるとなると、一番話したい相手です。
思い返すと、その上司のおかげでたくさんのことを学びました。
その人の厳しさの中には、想いがあります。
「リクルートという会社でうまくやるため」ではなく、その先。
どこへ行っても通用する人になるように。
だから、厳しくもなる。
あの人と3年、仕事ができるなら。
どこにいってもやっていけるよ。
そう、リクルートのみんなに言われます(笑)。
「きびしさ」の中に何があるのか
思えば、高校時代のソフト部の顧問も、すごく厳しい男性の先生でした。
その厳しさにわたしはキャプテンとして、泣きながらついていきました。
突然、そこでそこまで怒る?という時に激怒することもありました。
それでも、「そこについていくのが監督と選手」だと考えていたので、ついていきました。
ただ、わたしが引退して、下の代にも同じようにやったところ、下の代から「NO」を受けました。
「もうあの先生は無理」
ハッキリとした拒否で、さすがの先生もまいっていました。
わたしが京都の大学時代に連絡が来て、修学旅行で金閣寺にいるから来ないかと言われ、授業中に抜け出して会いに行ったことがあります。
行くと先生は別人になっていて、遅刻してきた生徒にも「いいよいいよ」と笑顔。
わたしが知っている先生だったら「ばかやろう、ふざけるな」。
絶対激怒だったので、衝撃でした。
「今になって思う。よくついてきてくれたな」
そう言う先生は、わたしたちと部活していた頃より10歳くらい年をとっているように見えました。
確かに、その先生との関わりで、今でもあそこであんなに怒られたのは謎という迷宮入り事件は多々あります。
それでも、厳しさの中に愛情があると感じていたので、ついていくことができました。
うるさい一言が届くとき
嫌われたい人なんていない。
誰でも、よく思われたい。
だけど、その人にとって必要だと思うから、伝える。
それを受け取れる人であろうと考えています。
あなたの口うるさい一言。
すぐには届かないかもしれません。
だけど、それが愛情から来ているならば。
愛情に届くと、わたしは信じています。
来るところが、行きつくところ。
むかし教えていただいて、今もすごく大切にしていることです。
今日、その鬼上司と最後のランチ。
とっても楽しみです。
思い出話なら、死ぬほどありますから。
ランチタイム、3時間半は必要です(笑)。
そのランチの様子は、こちらに書きました。
jinseigaugoku-hitokoto.hatenablog.jp
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「人生どうしたいか」がよくわからない方への一言
「こんな人生にしたい」を簡単に知る方法
こんにちは、こまちです。
先日、すごいことを教えていただきました。
「自分の人生、どんな人生にしたいか」
それを知る簡単な方法は、「自分がどんな人生にしたくないか」を書き出してみるといいよ。
さっそく書き出してみました。
毎日同じことの繰り返し
海外旅行にもう行けない
おかんの死に目にあえない
収入が今と1円も上がらない
信じられる人がいない
不健康
うれしいことも、楽しいこともない
好きな服が買えない
などなど。
みなさんだったら、どんな人生にしたくないですか。
全員が「思い通りの人生」を実現できる
わたしは、ONE PIECE(ワンピース)という漫画が大好きです。
その中で、作者の尾田さんの名言があります。
この世は、
思った通りになるのだそうで。
思った通りにならないよと
思っている人が、
思った通りにならなかった場合、
思った通りになっているので、
やっぱりそれは、
思った通りになっているのだそうで。
尾田栄一郎,『ONE PIECE』,集英社,2004年,見返し,32巻,978-4088735719.
「こんな人生にしたいな」を描くこと。
わたしは少し前まで、そこまでその大切さを体感していませんでした。
小学校の時にやるようなことを、大人になってやるなんて。
かっこ悪いなと、カッコつけていました。
でも、ほんとうに大事なんだと。
描いて、紙に書き出す。
それには、魔力がある。
そう、教えていただきました。
全員が、「思った通りの人生を生きる」と考えるならば。
人生を描くことは、わたしを生かすことだ。
ここへ行きたい
こんな経験がしたい
これくらい稼ぎたい
これができるようになりたい
こんな人と一緒にいれる自分になりたい
こんな素敵な自分で在りたい
みなさんだったら、どんな「思った通り」を描きますか。
この世は、そうなるそうです。
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