311人のこころを動かした一言

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心の傷を癒す「こうあるべきを手放す」一言

父に言ってしまったひどい一言

f:id:otonarisan_hitokoto:20181101104458j:plainこんにちは、こまちです。

今日は、わたしの人生でもかなり影響を受けた一言の話をします。

高校3年生の冬。
受験勉強のまっただなかで、お昼食べる時間も削って、朝から夜中まで勉強していました。

そんな真冬の年末、父が半年ぶりに家に帰ってきました。

両親の別居は小学校5年からやっていたのですが、父はたまに帰ってきて母とお金の話をしていました。

いつもは母と父で話すのですが、今回はわたしも呼ばれ、一言言われました。

「お前が大学に進学する為に積み立てていたお金を使ってしまったので、お前は国立で家から通える群馬大学へ行きなさい。」

家から通える群馬大学は、理系の工学部。
私はその頃、教師になりたくて文系の受験勉強をしていました。

父はギャンブル好きだったのですが、今回お金を使ってしまったのは、姉の専門学校資金が払えなくなり、わたしの分で積み立てていたお金を使ったのだそう。

今思うと、産まれただけで親には感謝だし、学費も自分で全部稼いで大学へ行った友達も何人もいるので、学費払ってもらうのも当たり前じゃないなと思えます。

ただ、当時はセンター試験2週間前にそんなことを言われて、勉強疲れもあったので本当に頭にきて、言い訳を並び立てる父にキレてしまいました。

「てめぇは黙ってろよ」

ひどい言葉を、人生で初めて口にしました。
そんな自分に自分がびっくりしました。

「父親とはこうあるべき」を手放す大切さ

わたしの放った一言は、怒られても仕方ないし、自分が親になって子供にそんなこと言われたら相当いやだなと感じました。

その後の父の一言が衝撃でした。

「親に対してそんなことを言うなんて。
部活の顧問の先生は、どんな教育をしているんだ。」

ああ。この人は「父親」というものを放棄している。

そう感じて、それがあまりにショックでした。
なんだかんだわたしは「父親」を信じて、頼っていたんだなと、逆にそこで初めて気づきました。

13年経って思うのは、父のなかに「俺が今まで育ててきたのに」と言えるものを持っていなかったんだということ。
言っている父も、傷ついていたのかもしれません。

そして、「父親とはこうあるべき」をわたし自身握りしめて、振りかざすことで、自分が傷ついていました。

近くにいる人生の先輩のおかげでその執着にも気付き、いま手放せています。

父とこれから築いていくもの

f:id:otonarisan_hitokoto:20181101104527j:plain母との2年間の離婚裁判を終え、さらに2年間の遺産相続裁判をわたしと姉、従妹2人と終えた父は、今九州で大好きなバスケを教えているそうです。

裁判所に行ったのはわたしだけで、みんな弁護士さんを最初から立てていたので、法廷で父と会うことはありませんでしたが、別で父とこの夏会いました。

数年ぶりに連絡すると、バスケの遠征で名古屋に来ることを知り、会いに行きました。

相変わらずお金の話をしていましたが、ひつまぶしを奢ってもらい、一緒に食べながら話しました。

裁判の話も、思い出話も特になく。
父は、今バスケを教えている中学生の話をしていました。

それを聞きながら、何か今からでも築けるものがあったら、わたしも受け入れて、築いていきたいなと感じました。

答えはまだ出ていませんが、見つけていきます。

「自立して稼いでいくことの大切さ」を背中で学ぶ

ちなみに、大学には無事に進学することができました。

父との話のあと、部屋に帰って泣きながら文系大学の過去問を解いていたら、母が部屋に来ました。

「こんなこともあろうかと、父親に黙って別でお金を貯めておいたのよ。
行きたい大学に、行きなさい。」

わたしも、しっかり稼いで、大好きなパートナーがいても自立して、母のように強さと優しさのある女性になります。

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