10年間傷ついていた過去を受け入れられた一言
「人は過去を変えることができる」と知った一言
こんにちは、こまちです。
わたしは姉が一人います。
ホストにお金を使いすぎてカードを止められ、消費者金融も払えなくなり、母に立て替えてもらった翌日から消息不明で連絡も無視という、変わった姉です。
最後に姉に会ったのは、8年前のおばあちゃんのお葬式でした。
その時、2人で住んでいたおばあちゃんが急に天国にいったことと、その遺産を巡り親族や父と揉めにもめていたことで、母は一時期ノイローゼになっていました。
ご飯をつくらなくなり、ほぼ毎日コンビニ弁当かスーパーのお惣菜。
一方で、その揉めている親族がやっていた建設会社に頼んで、一人暮らしとなる実家のキッチンをオープンキッチンにする工事を発注。
姉とも連絡とれず、父は離婚裁判直前だったので、当時はわたしが、毎週東京から群馬に帰っていました。
その頃は、文科省に提出する教科書の提出期限が迫っていて、毎週6日勤務だったので、土曜の夜遅くに群馬に帰り、日曜の終電で東京に帰ってくる生活。
さすがにわたしも疲弊していました。
その頃に母に言われた一言を、私は10年間、受け入れていませんでした。
「おねえちゃんは弱いから、優しい。
お前は強いから、冷たいよね。」
悲しい感情を完了させることで、嬉しいも受け取れるようになる
誰より母を支えている自負がありました。
だからこそ、こんなに大変な想いまでしているのに、と思いました。
仕事中、その一言を思い出して、アメリカの農業分布図について上司と話している時に、突然号泣したこともありました。
優しい上司は、「今日は帰りな」と理由も聞かずに帰らせてくれました。
本当に私は、周りにいい人に恵まれてきたなと思います。
母の言葉を受け入れることができたのは、ある人生の先輩からの一言でした。
「ちゃんと悲しかったことは、今からでも悲しんで、気持ちを完了させたほうがいいよ。」
その言葉で、ハッとしました。
乗り越えているつもりが、悲しいという気持ちを抑えていただけだったことに気づきました。
ああ、わたし、悲しかったんだ。
すごく、悲しかった。
そう思い返したら、ものすごく楽になりました。
当時の母は、そういう表現が精一杯だった。
そして、それでも、私に対して感謝の気持ちを持っていたのだと気付きました。
相手の気持ちになる為には、まず自分の気持ちになることが大切なのだと、学びました。
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